About PICASSO
ピカソ画房について
私たちの思い
アートを彩るあなたの為の画材店
ピカソ画房は、1932年より続く老舗画材店です。戦前より広島のアートシーンを見守ってきました。
晴れの日も、雨の日も、槍の日も・・・常に広島の美術家たちの傍に在りました。
現在では西日本で最大数の商品取り扱い店となり、画材の販売のみならず額縁オーダー・美術教室(ピカソ塾)・展示会のサポートなど、さまざまなニーズに寄り添ったサービスを提供しています。また、お客様のご要望に合わせ、画材が持っている様々な可能性をご提案する知識豊富な温かいスタッフが待っています。
絵画を始めてみたい初心者の方から、プロの画家まで、ピカソ画房は幅広いお客様の味方です。
あなたの「創造」のお手伝いをさせてください。
3 Good Points
選ばれる3つの理由
Person
ピカソ画房で働く人たち社長あいさつ
広島からピカソを創出したい
今日、数多くの企業は利益を出すことばかりを考えて企業活動を行っています。確かに利益を出すということは、企業にとって大切なことだと思います。 しかし、やはり企業というのは、お客様や社会に何か役に立つことを大きな柱として活動を行っていかないと、企業の意義自体が薄れてしまうと思います。
ピカソ画房創業者、佐渡久士は、広島の美術界の発展を願いつづけていました。
創業者の思い・理念こそピカソ画房という一企業の中で、紡いでいかなければならない大きな柱です。
これからもお客様に寄り添う画材店を目標に社員一同精進して参ります。
Staff Voice
スタッフの声History
ピカソ画房の歴史-
- 1932
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初代、佐渡久士 ピカソ画房を創業。
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- 1935
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現在の本店所在地・堀川町に2階建ての店舗を借りる。
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- 1939
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ピカソ画房はパブロピカソと交流があり、
反戦思想運動の中心なのではと疑いをかけられ
特別警察に連行される。
更に敵国語とされている横文字が入った店名、
「ピカソ画房」を特高の命令により
やむを得ず「広美堂」へと改名。
このような危険な中でも芸術家のために営業を続ける。
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- 1945
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広島に原爆投下、終戦。
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- 1946-1947
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焼野原に4坪のバラックを建設。
大阪や東京へ仕入れへ出向く。
様々な画家を訪問する中で、東京で店舗を構えてはと勧められるも 広島に残ることを選ぶ。
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- 1949
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木造2階建の店舗を建築。
画廊を併設する。
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- 1967
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有限会社ピカソ画房、法人化。
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- 1983
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初代、75歳にて他界。
2代目、花澤良章代表取締役就任。
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- 1986-2002
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クロマティック事業(デザイン加工業)を開始。
店舗を続々と開設。
アートスクール・ピカソ塾を開講。
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- 2006
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3代目、花澤憲治・代表取締役就任。
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- Forever
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初代の志を受け継ぎながら
今日も広島のアートシーンを支えている。
- 詳しい歴史はこちら(PDF)